紳士淑女の皆々様
有名なライプチヒの言葉で
「観客は紳士にだまされるのであれば
悪い気はしないものだ。」
というものがあります
これ、状況的には
ライプチヒが若かりしバーノンに
語った言葉なのですが
諸手を挙げて、この言葉を
受けとめるのは少々危険なのかと・・
基本的に、この考え方は大切なことだと思います
ちなみに、もう少し前後を書くと
「私は約50年マジックをやっているが、観客は紳士にだまされるのであれば
悪い気はしないものだ。もし彼らが君をひとりの人間として
気に入ってくれたら君の演じるマジックも気に入ってくれるよ」
まずは人として、まともであり、相手に気に入ってもらえるような
人格を持っているのは、当たり前のこととしなさい
ってことなわけです
正直、話題のネタがマジックしか無いような人や
相手の許可なくマジックし始めたりする人や
まともに普通の会話ができない人や
メールの内容を理解できない程度の読解力の人や
自分のマジックが最高だ!と無批判的に考えている人や
その場の空気や、その場にいる人の力量関係に気を払えない人
等は、お呼びで無いってことなわけです
で、さらにそのうえで、ってことで・・・
ライプチヒの言葉って、大前提として
「観客は紳士淑女である」ってことのような気がします
いいですか、
「紳士淑女として扱いなさい」ではなく
「既に紳士淑女である」ってことです
さてこうなると、今自分の目の前にいるお客様は
どうなのか、考えてみないといけなくなりませんか?
日本のマジシャンなら経験的に
「お客さんは、タネを明かそうとするのが好き」
ということを知っています
これは経験知として、真実です
これを公理としておいた方が、諸々安全な気がします
少なくとも、日本では
となると、ライプチヒの言葉は読み替えることが
必要になってきます
(ローカライズともいえるかもしれません)
「もし観客が紳士淑女だとして
その観客は紳士淑女にだまされるのであれば
悪い気はしないものだ」
決して、日本のお客様が紳士淑女でないというのではなく
そういったお客様に出会えることは、決して頻度が高くない気がします
キャッスルも会員制のレストランなわけですし、ヨーロッパなら
社交界に現れるような人たちが「紳士淑女」のイメージです
日本でこれらのイメージに合う人たちって・・・
少ないと思いませんか?
昨今、どこにあるでしょうゲームを「マジック」だと
勘違いする人が増えそうなテレビなども多く
番組中、その手法が分かるようにしてくれる部分もあるために
現実で見た時も、明かしてくれると勘違いしている人たちも多くなる
可能性を含んでいます
どれだけこちらが、紳士淑女の対応をしたとして
相手が紳士淑女ではないならば、だまされることを良しとしないでしょうし
常々口にしている言葉なのですが、やはりすべてはマーケティング
になってくるような気がします
タダですね、相手が紳士淑女でないからといって、こちらも
紳士淑女を止める必要はないわけです
「同じ羽の鳥は群れる」のことわざもある通り
自分の目の前に、紳士淑女が来てくれないことには、何らかの
意味合いがあると自責にかられた方が健全だと思います
自らが真摯にマジックに向かい、マジックに対して
紳士淑女であれば、お客様も何かを感じてくれるはずですし
それに合わない人は、自然に目の前からいなくなるはず
まずは、己が紳士淑女たることを意識していきましょう
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