トリックの調理法?【何を抽出して使うか】
だいぶコロンビニのノートも増えてきました。
そのノートに載っている作品数を考えたら200個以上の
作品を余裕で自分の体を通してきた感じです。
では、その作品を通して自分のトリックが増えたかと言えば
そうでもないのですが(笑)。
これは、作品に難があるとかではなく
好みであったり、コロンビニノートの特徴の部分も
あるかとは思います。
まず、コロンビニのノートに載っている作品ですが
多くは、彼がコラムを書くために世界中のマジシャンから
集めた物だったりします。
もちろん、その他のスタイルの物もありますよ。
例えば、キラーコンセプトなどは、テクニックにフォーカスしていたり
現状ではリリースしておりませんが、ダブルデッカーなどは
2デックを使うということをメインに考えて作品を
抽出していたり。
ただ、1つのポイントとしてコロンビニのノートの作品は
ある種の共通点があります。
それは、演出がほぼ載っていないということです。
つまりマジックとしてみると、その文章を読むだけでは
完成しないようになっています。
今風に言えば、クックパッドのレシピみたいな感じでしょうか?
基本期には作業のみが書かれていて
料理は、出来上がります。
でも、それをどういったお皿に盛りつけて、どういった人に
提供して楽しんでもらうかなどは、もちろん書かれていません。
こういったことがコロンビニノートで起こる理由の1つは
「彼の作品ではない」って事柄があるかと思います。
自分がずっとやっているトリックでないなら
そりゃあ、そこに感じる熱量は高くないと思います。
別にこれは悪いことではなく、様々な作品をマジック好きに示す
ということだけでも、十分に価値あることだからです。
ノートの中では1つの作品として示していますが
それはある意味素材にもなりうるものです。
大きなトリックの一部分を受け持ってくれるような
そんな作品もあります。
それだけではなく、手法や原理の部分のみを抽出して
利用するということも可能です。
下手にコロンビニの熱がこもってないからこそ
その作品を分解できたり、素材を抽出して行けるのです。
抽出した素材に対して、どういった方法をとるのか?って
事ですが、ある意味で調理法になるのですが
数学の分野のことで表現することが多いですね。
要素を手に入れたなら、順列・組み合わせを考えてみて
手順的なものを考えるためには「伸ばす・縮める・つなげる・ちぎる」
という手法を使います。
これも、自分が使えるサイズの要素を持っているとできることで
あまり大きな要素とか、色がありすぎる、熱量が強すぎると
自分に合わないってことが起こりやすいです。
これ、下手に熱量がありすぎると
まあ色が強いとかってことになると思うのですが
そうするしかない、って感じになりますし
作品はそのままするしかない、ってことになります。
昨今なら、レナートグリーンのトリックやテクニックは
その人がどんなに上手くても、結局レナートグリーンが
後ろに見えてくるって感じでしょうか?
逆に、作品からはクリエイターの熱量や色・匂い
みたいなものが感じられないようにすることも
1つの才能であり、優秀なマジシャンと判断する部分です。
だって、バーノンのトリックに、バーノンの熱量を感じます?
賢さとか、上手さはもちろん分かりますが
ある意味で無味無臭にしている所がすごいと思うのですよ、僕は。
磨き上げたお米で作ったお酒みたいなもの?ですかね
まあ、上善如水って言うし。
その人らしい色や匂いが現象というか手順から見える
という作品を作りたがる人が多いとは思いますが
そうではなく、自分の思考や熱量をグッと作品に閉じ込めて
無味無臭のようになるまで作品を磨くのも、また才能のなせる業。
自分の後輩で言ったら、今西章氏はこういった才能を持った
稀有なマジシャンであり、そのDVDを見れば才能を感じられると思います。
(大先輩の天才たちが褒めているだけでも、十分分かりますよね)
ジョシュアジェイも言っていますが
マジシャンには2種類あって、ダイヤモンドのように輝いて見える
タイプと、真珠のように鈍い光を発するタイプがあるわけです。
どっちが良いとか悪いではなく、ある意味で好みであり
そして性質の違いなわけです。
なので、こういった差を区別せずに評価?するのは
評価する方の視野狭窄を安易に露呈してしまうことでもあります。
その作品をどういった視点で見るのかってことも
重要なポイントになってくるわけです。
以前に、小野坂東さん(通称:トンさん(みんな知っとるわ!))から
「生きているマジシャンの書いた本を訳しない!」
と言われたことがあるのですが
それは、こういった視点に関して、本人に聞けるから、という部分が
あると思います。
(ハコネプライドのPVなどを見ると、恐らく外れてないかと・・・)
さてさて、色々と雑多に書き散らかしてきたのですが・・
コロンビニのノートに関しては、そのまま演じるというのもいいのですが
少なくとも演出面は自身で考える、ということで
そのトリックを演じる人の物になりやすいと思いますので
その点は楽しめるかと思います。
また、分解・抽出して様々な要素を転用することもまた
これらの作品で楽しめると思います。
場合によっては分解しなくても、作品そのものが素材となり
他の作品を作る要素になったり。
それもまた、楽しいものです。
言葉は悪いのですが
「味もそっけもないように感じる」トリック
というのはあるかと思います。
でも、本当にそんなトリックなら、文字に残すなんていう
面倒のかかる事はしないのですよ。
自分がいつも見ている角度ではなく、視点の移動をしてその作品を
見てみるといいでしょうね。
一番簡単なのは、他の人に演じてみるってことでしょうね。
その効果を感じるなら、自分の見えてない部分があるってことで。
作品に何らかの糸や熱がこもっているなら、観客は絶対に
驚きますし、楽しんでくれるはず。
僕自身、それほど色や匂いのあるマジシャンだとは思っておりません。
それは自分の名前で仕事を取って、などと言うことを
考えてないからです。
たぶん、僕の演技を見た後、僕の名前を憶えていたり
僕のトリックを覚えている人など皆無なのでは(笑)。
だからこそ、僕のリリースするトリックもまた
無味無臭に近いでしょうし、でも自分の熱量は込めてある
物になっているとは思っております。
ということで、これからも
レストランマジック研究所のコンテンツをよろしくどうぞ。
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